「誰にでも優しくしてあげたい」っていう気持ちは、誰のため?~行動する理由を深掘りしてみた~

「誰にでも優しくしてあげたい」っていう気持ちは、誰のため?~行動する理由を深掘りしてみた~

 

「誰にでも優しくしてあげたい」っていう感情が生まれる理由は、

ズバリ言うと「自分に自信がないから」

 

 

自分がダメ出しをされるのが怖いから、

周囲の人に優しくするのだ。

(実際には「優しくする」ではなく、

「甘くなる」って感じかな。)

 

 

かくいう自分も、

甘くなってること、相当あります。

っていうか「甘くなろう」とつい心がけてしまうというか・・・。

自分のダメさや弱さゆえに・・・。

 

 

誰でも存在意義が欲しいんです。

肯定されたいし認めてもらいたいわけなんです。

 

 

パッと考えて、「え~」自分はそんなこと思わないな、

っていう人でもきっと心の底にはそういう願望があるはずなんです。

人として生きている以上は。

 

 

でもそれで人に優しく(甘く)したからといって、

相手が自分に優しく(甘く)してくれるかといったら、

そうでもなかったりするわけで・・・。

で、相手が自分に優しく(甘く)してくれないと、

なぜか釈然としない気分になったり、

損したような悲しい切ない気分になったり・・・

 

 

でも、そもそも自分が優しく(甘く)した相手は、

あなたに「そうしてくれ」とは一切頼んでもいないわけです。

 

 

だから、優しさのお返しが返ってこないからといって

相手を責めるのも悪く思うのもお門違いってわけなんですよね。

そういうわけで、この「優しく(甘く)する」って行為は、

「時間的にも精神エネルギー的にも無駄」なんですよね。

成果上がってないから。

 

 

それにこのやり方だと自分軸じゃなくて、

完全に「他人軸」になっちゃってるしね。

 

 

真の幸せ、

充実感、肯定感、自分大好き!!って気持ちを手に入れるには、

「自分軸である事」がとても大事と感じます。

 

 

他人からの評価を上げようとすることに時間を無駄に費やすよりは、

自分のやりたいこと、

自分が楽しい、面白い、ワクワクする!!などと感じられることに、

時間を使うことです。

 

 

人の目を気にしている人は、

「ものごとに120%集中できてない」ってことだと思うんで

す。

120%の全力に人は心を動かされたり、

感動したりすると思うんですよね。

 

 

だから、

えっと、

偉そうなこと言ってても、

自分も全然甘くしてるクチですが、

 

 

少しずつそんなふうに意識をシフトさせていったら、

行動も徐々に変わっていくと思います。

「どのような行動をとるか?」のもとになるのは

「意識」ですんで。

 

 

まずはもし上記の話が腑に落ちるってことであれば、

それだけで、意識が変わっていってるってことだと思います。

そこがスタート。

 

 

で、意識が変わり始めたら、

その変わり始めた意識のほうに、意識を持っていって

(つまり「どうあるべきか」ではなく、

「あなたはどうしたいか」に意識をフォーカスする)

「どうしたいか?」に従って、行動してくと、

このスッキリとしない「甘くなっちゃう件」から解放されていくと思いますよん。

 

 

甘くなっちゃう」のは本当の優しさじゃなくて、

(本当は批判したいのに)自分にはそれを言う権利がない

(=自分はそんなことを言えるほどの立派な人間ではないから言わない、とい

うか言えない)そんな感じなんだと思うんですよ。

 

 

甘くしとくことで、自分も批判されないですむ、みたいな。

 

 

でもそんなぬるいことやってたんじゃ

(あ、もちろんそういうぬるさが必要とされたり、

よしとされるコミュニティーはあると思います)

自分の夢は達成できないし、

尊敬できる友にも、師にも出会えないんじゃないかな、と。

 

 

やっぱり、やるときには「ガチな自分」を全開することも必要と思います。

あなたは一人じゃない。

わたしがついてますよ(と、ボソッと呟いてます(笑))。

 

 

だからわたしと一緒に、

ちょっとずつ、

変えたいとこ変えていきましょ~^^



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